2026年6月24日、公正取引委員会・中小企業庁・特許庁の三機関が連名で「知財取引指針」を公表しました。大企業と中小企業の間で日常的に起こりうる技術・ノウハウ・データの不当な無償提供要求などを独占禁止法・取適法の観点から整理した画期的な指針です。契約書ひな形も同時公開されており、中小メーカーが今すぐ自社の契約を見直す絶好の機会です。
「知財取引指針」とは何か——三機関連名という異例の体制
2026年6月24日、公正取引委員会・中小企業庁・特許庁の三機関が連名で「知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針」(知財取引指針)および附属資料の「契約書ひな形」を公表しました。三機関が一体となって知財分野の取引指針を策定するのは異例であり、それだけこの問題の深刻さを示しています。
この指針が生まれた背景には、骨太方針2025(2025年6月閣議決定)に「中小企業の知的財産への侵害に関する実態調査を行い、独占禁止法上の指針を策定する」と明記されたことがあります。公正取引委員会は2025年9月に全国4万社を対象とした実態調査を実施し、その結果と有識者による検討を踏まえて「知的財産取引適正化ワーキンググループ」(2025年8月以降開催)が議論を重ね、今回の指針としてまとめました。
指針が対象とするのは、特許権・実用新案権・商標権・著作権などの知的財産権に加え、登録されていない「ノウハウ」や「データ」まで含む広い範囲です。中小企業が大企業との取引で日々直面する、秘密情報の一方的な取得要求、成果物に関する知的財産権の無償譲渡要求、発明の寄与度を無視した特許権帰属の強制——こうした慣行に、初めて明確な法的枠組みが与えられました。
取適法(旧下請法)改正との連動が最大の急所
今回の指針を理解するうえで絶対に外せないのが、2026年1月1日に施行された「中小受託取引適正化法(取適法)」との連動です。旧下請法から取適法へと名称・内容ともに大きく改正されたこの法律と、今回の知財取引指針は密接に絡み合っています。
指針は、取適法の対象となる取引において、発注した業務の範囲に含まれない知的財産権等の無償提供を求める行為は「取適法違反となる」と明記しました。さらに、取適法で新設された「協議に応じない一方的な代金決定の禁止」により、取引先から知的財産の対価について協議を求められたのに応じないこと自体が、違反となり得ます。従来、「話し合いには応じるが結論は出さない」という対応で実質的に門前払いをしていた発注側の行為が、今後は法的リスクを伴うことになります。
中小メーカーの立場からは、この変化は「交渉を求める権利」が法的に裏打ちされたことを意味します。特許やノウハウの対価について正当な交渉を申し入れても、発注元がそれを無視し続ければ取適法違反に問われうる——という新たな実態が生まれています。
指針が示す5つの「問題場面」と中小製造業への影響
指針は、知財取引で問題となりやすい場面を大きく5つに分類しています。中小メーカーにとって特に身近なものを整理します。
第1に「契約締結前(取引交渉段階・工場見学)」の場面です。NDA(秘密保持契約)を締結しないまま技術情報・ノウハウを開示させ、後にそれを利用されるケースが典型例として挙げられています。指針は、取引開始前であってもNDAの締結を求めることは当然であると明確にしています。
第2に「試作品製造・共同開発等」の場面です。共同研究開発の成果について、発明への寄与度に関係なく全て大企業側に帰属させるとされるケースが問題事例として示されています。成果物とそれに関連する知的財産権の対価を契約に明確に定めることが求められます。
第3に「製造委託・請負」における「知的財産権等の不当な対価設定」の場面です。取引の対価を一方的に決定したり、ノウハウ・データの対価をゼロに設定したりする行為が独禁法上の優越的地位の濫用に当たり得ると明示されました。
第4に「特許出願・知的財産権の無償譲渡・無償実施許諾」の要求です。取引先が開発した発明について、特許出願させずに「社内秘扱い」にするよう求める行為や、特許権を無償で譲渡させる行為が問題事例として掲げられています。
第5に「第三者との間に生じる知財訴訟等のリスクの転嫁」です。万一の特許侵害訴訟のリスクをすべて下請側に負わせるような条項も問題となり得ます。
- ①契約締結前:NDA不締結のまま技術情報を要求する行為
- ②試作品・共同開発:成果の知財権を発注側が一方的に取得する行為
- ③製造委託:ノウハウ・データの対価をゼロに設定する行為
- ④特許出願:特許出願を妨げたり、無償譲渡を強制する行為
- ⑤訴訟リスク:第三者との知財紛争のリスクをすべて受注側へ転嫁する行為
このニュースが中小メーカーに意味すること——「守り」から「交渉力」へ
これまで多くの中小メーカーは、技術やノウハウを不当に利用されても「取引を続けたいから言いにくい」「何が違法かわからないから泣き寝入りする」という状況でした。今回の知財取引指針は、こうした力学に変化をもたらします。
指針の公表によって、「何が違法で、何が適法か」が文書化されました。これは中小企業にとって、大企業との交渉テーブルに持ち込める「根拠」が生まれたことを意味します。発注元から不当な要求を受けたとき、「知財取引指針に照らし、この要求には応じられません」と伝えることが、より現実的になりました。
また、公正取引委員会・中小企業庁・特許庁の三機関が引き続き独禁法違反行為に対して厳正に対処するとしていることも重要です。今後、指針に違反した取引慣行が是正勧告・排除措置命令の対象となる可能性が、これまでより高まっています。これは発注側のリスクが増大したことを意味し、中小企業の交渉力を後押しします。
一方で注意も必要です。指針はあくまで取引適正化に向けた方向性を示すものであり、すべての状況に機械的に当てはまるわけではありません。自社の取引が問題事例に該当するかどうかの具体的な判断は、知財総合支援窓口(INPIT)や弁護士・弁理士などの専門家に相談しながら進めることを強くお勧めします。
中小メーカーが今すぐ取れる3つのアクション
知財取引指針の公表を受けて、中小メーカーの経営者・知財担当者が今すぐ着手できる具体的なステップを整理します。
【アクション1:現在の取引契約を指針と照合する】
公正取引委員会のウェブサイトで公開されている指針本文(PDF)と概要資料を入手し、現在の主要な取引先との契約書(製造委託契約・開発委託契約・NDAなど)が指針の「問題となり得る事例」に該当しないかチェックしましょう。特に、成果物の知財権帰属条項・ノウハウの取り扱い条項・対価の決定方法条項の3点は優先的に見直してください。
【アクション2:公開された「契約書ひな形」を参照する】
指針には「秘密保持契約書ひな形」「開発委託契約書ひな形」「製造委託契約書ひな形」など複数の契約書ひな形が附属資料として公開されています。中小企業庁のページからダウンロードできます。新たに取引を開始する際や、既存契約を更改する際に、このひな形を出発点にすることで、指針に沿った適切な内容の契約書を整備しやすくなります。
【アクション3:INPITの知財総合支援窓口に相談する】
「自社の契約が問題ないか判断できない」「取引先との交渉をどう進めるべきかわからない」という場合は、全国47都道府県に設置されているINPITの知財総合支援窓口を活用してください。弁理士や弁護士が無料で相談に応じており、今回の指針を踏まえた具体的な助言を受けることができます。
よくある質問
Q. 知財取引指針はどこで入手できますか?
A. 公正取引委員会のウェブサイト(jftc.go.jp)から無料でダウンロードできます。指針本文、概要(A3版)、契約書ひな形がすべてPDFで公開されています。経済産業省(meti.go.jp)の同プレスリリースページからもアクセスできます。
Q. 「取適法」とはどういう法律ですか?
A. 旧・下請法が2026年1月に「中小受託取引適正化法(取適法)」へ改正・施行されたものです。適用対象の拡大や「協議に応じない一方的な代金決定の禁止」などが新設されており、知財取引指針はこの取適法との連動を前提に策定されています。
Q. 指針に違反した場合、具体的にどうなりますか?
A. 独占禁止法の優越的地位の濫用に当たる場合、公正取引委員会から排除措置命令や課徴金納付命令を受ける可能性があります。また取適法違反に当たる場合は中小企業庁等による指導・勧告の対象となりえます。ただし個別の取引が違反に当たるかどうかは事案ごとに判断が必要です。
Q. 中小企業の側が不当な要求を受けた場合、どこに相談できますか?
A. 全国47都道府県に設置されたINPITの「知財総合支援窓口」に無料で相談できます。また公正取引委員会の「相談窓口」や中小企業庁の「下請かけこみ寺」も活用できます。具体的な契約交渉については弁護士・弁理士への相談もお勧めします。
Q. すでに締結済みの契約にも指針は影響しますか?
A. 指針は遡及して既存契約を無効にするものではありませんが、指針公表後に指針に反する取引慣行を継続した場合は独禁法・取適法上の問題となり得ます。契約更新のタイミングや、発注元から条件変更を申し出られた際が、内容を見直す絶好の機会です。
出典:「知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針」及び「契約書ひな形」を公表(公正取引委員会・中小企業庁・特許庁、令和8年6月24日)
