「自社の技術が本当に守れているか」「先代から受け継いだ強みを次の事業に活かせるか」——そんな問いを抱えるアトツギ(次世代の経営者)に向けて、近畿経済産業局が2026年9月から全5回の知財連続講座「ATOTSUGI IP SHIFT 2026」を実施している。このプログラムが示すのは、知財は専門家だけのものでなく、事業承継の現場で経営戦略の核になりうるという視点だ。
「ATOTSUGI IP SHIFT 2026」とは何か
近畿経済産業局は、中小・中堅企業の後継者(アトツギ)を対象に、知的財産を経営に生かす実践的プログラム「ATOTSUGI IP SHIFT 2026 ~アトツギの事業を芯まで磨く!攻め・守り・共創のための知財活用~」を、2026年9月から2027年1月にかけて全5回の連続講座として実施している。
Day1(9月11日)では近畿経済産業局での座学を皮切りに、Day2(10月9日)は大阪の老舗計器メーカーである株式会社木幡計器製作所への企業訪問、Day3(11月13日)は突っ張り棒で知られる平安伸銅工業株式会社への訪問、Day4(12月11日)はアベル株式会社への訪問と、毎回実際の企業をフィールドワーク先にしている点が特徴的だ。最終回(Day5、2027年1月)では成果発表を行う。
プログラムの骨格は3段階で構成されている。まず「STEP1:家業の本当の強み=知財に気づく」で自社の経営資源を棚卸しし、次に「STEP2:課題を起点に、現実的な解決策を学ぶ」で知財を攻め(競合差別化)・守り(模倣防止)・共創(ライセンス・連携)の3方向から捉え直す。そして「STEP3:知財活動の最初の一歩を踏み出す」で参加者が自社に持ち帰れる具体的なアクションを設計する。
なぜ「アトツギ×知財」なのか——事業承継の現場で起きていること
中小企業の事業承継において、後継者が最初に直面する落とし穴のひとつが「目に見えない資産の棚卸し漏れ」だ。先代が長年かけて積み上げた製造ノウハウ、独自の工法、取引先との関係性、ブランド——これらは財務諸表に載らないが、競合他社には容易に真似できない「知的財産」の塊でもある。ところが、承継の現場では建物・設備・在庫といった有形資産の引き継ぎに注力するあまり、こうした無形の強みが可視化も保護もされないまま放置されてしまうことが多い。
INPITのデータによれば、同機関は47都道府県に知財総合支援窓口を設置し、年間12万件を超える相談支援を行っているが、その相談内容の多くは「自社に知財があるかどうかすら分からない」という入口段階にとどまっている。承継した直後の後継者が知財の全体像を把握できていないケースは、特に製造業の中小企業で顕著だと現場の支援担当者は口をそろえる。
ATOTSUGI IP SHIFTが注目に値するのは、この問題構造に正面から向き合っている点だ。座学だけでなく、実際の中小企業を訪問し、「その会社がどのように知財を経営に組み込んできたか」をリアルに学ぶ設計は、教室型の講座にはない実感を与える。特許証の額装や商標の登録証ではなく、「知財がどう売上につながっているか」という経営者目線の問いを、先輩アトツギから直接聞ける機会は貴重だ。
「攻め・守り・共創」——3つの視点で知財を読み解く
このプログラムが示す「攻め・守り・共創」というフレームワークは、知財を単なるコスト(出願費用)としてではなく、事業展開の道具として位置づける考え方だ。それぞれの意味を整理しておこう。
「攻め」とは、自社の技術やデザイン・ブランドを権利化することで、競合が参入しにくい事業領域を作ることだ。特許・意匠・商標を組み合わせることで、単品の権利が弱くても複合的な参入障壁を築ける。後継者が新規事業や新製品を展開するときに特に効果を発揮する。
「守り」とは、模倣対策だけでなく、技術の核心部分を「営業秘密」として非公開のまま管理する選択肢も含む。特許出願すると18か月後には内容が公開されるため、あえて出願せず秘密管理する方が有利な技術もある。INPITは「営業秘密支援窓口」も無料で提供しており、管理ルールの整備や社内セミナーの実施まで支援している。
「共創」とは、自社の知財を他社にライセンスしたり、あるいは他社の開放特許を活用したりすることで、単独では実現できないイノベーションを生み出す考え方だ。大企業が保有しながら使っていない「休眠特許」や「開放特許」を低コストで実施許諾を受け、自社製品の差別化に使う事例は全国で着実に増えている。
中小メーカーの知財担当者・経営者が今すぐできること
ATOTSUGI IP SHIFTへの参加対象は近畿地域の中小・中堅企業の後継者だが、このプログラムが示す考え方は地域を問わず通用する。全国47都道府県のINPIT知財総合支援窓口は、支援担当者および弁理士・弁護士などの専門家への相談が無料で受けられる。「自社に知財があるかどうか分からない」「特許を取った後、活かし方が分からない」といった入口段階の相談から受け付けており、まずここに電話・来訪することがハードルの最も低い第一歩だ。
また、INPITが2026年度・2027年度の2年間で実施しているIPランドスケープ支援事業(公募型、無料)では、市場・競合・知財情報を組み合わせた分析(IPランドスケープ)を専門家とともに行い、経営判断に直結する形で結果を提供している。自社の技術がどの分野の特許に囲まれているか、競合はどの方向に開発投資をしているか——こうした「地図」を持つことで、事業の方向性を誤るリスクを大幅に下げられる。
さらに、特許庁は中小企業・スタートアップ向けの審査請求料・特許料の減免制度を整備しており、外国出願費用を半額補助する「外国出願補助金」も継続している。知財の取得費用そのものも、制度を正しく使えば大幅に抑えられる。「費用が高いから」という理由で知財活動を敬遠してきた経営者こそ、一度公的機関の支援メニューを確認してほしい。
なお、記事中に紹介した支援制度の詳細や申請要件は変更されることがある。具体的な出願可否の判断や権利化の戦略については、弁理士など有資格の専門家に相談することを強く勧める。
- INPIT知財総合支援窓口(全国47都道府県、相談無料)に連絡し、自社の知財課題を整理してもらう
- J-PlatPat(特許庁の無料データベース)で自社技術分野の特許出願状況を検索し、競合の動向を把握する
- IPランドスケープ支援事業(INPIT公募型、無料)への応募を検討する
- 外国展開を考えているなら「外国出願補助金」(特許庁)の要件を確認し、次回公募に備える
- 自社技術の核心部分が特許出願対象か、それとも営業秘密として管理すべきかを弁理士に相談する
よくある質問
Q. ATOTSUGI IP SHIFT 2026に参加できるのはどんな企業ですか?
A. 近畿経済産業局が主催するプログラムであるため、主に近畿地域の中小・中堅企業の後継者(アトツギ)が対象です。2026年度の公募期間は7月21日〜8月17日でした。今後の類似プログラムについては近畿経済産業局の特設ページや各経済産業局のウェブサイトを定期的に確認することをお勧めします。
Q. 近畿以外の地域の後継者が知財を学ぶ手段はありますか?
A. はい。全国47都道府県に設置されているINPIT知財総合支援窓口では無料で相談できます。また、北海道経済産業局の「IP BOOSTER HOKKAIDO」など、各地域の経済産業局が独自の後継者向け知財プログラムを実施していることがあります。自地域の経済産業局ウェブサイトや、INPITの知財ポータルを確認してみてください。
Q. 「営業秘密」と「特許」はどう使い分ければいいですか?
A. 技術の性質によって最適解は異なります。特許は権利化後18か月で内容が公開されるため、製品を分析されると技術が判明してしまう分野では、特許出願せず社内管理規程を整備して「営業秘密」として守る方が有利な場合があります。一方、製品として市場に出ると容易に判明してしまう技術は特許で守る方が得策です。どちらが自社に適しているかは弁理士への相談が近道です。
Q. 特許出願にはどのくらいのコストがかかりますか?
A. 出願から権利化(登録)まで、弁理士費用を含めると一般に数十万円〜百万円以上かかります。ただし中小企業は審査請求料・特許料が1/2に軽減される制度があり、外国出願には費用の半額を補助する「外国出願補助金」(特許庁)も利用できます。詳細は特許庁ウェブサイトまたはINPIT知財総合支援窓口にご確認ください。
出典:アトツギ×知財連続講座「ATOTSUGI IP SHIFT 2026」——近畿経済産業局が中小・中堅企業の次世代経営者を対象に全5回の実践プログラムを開催
