「出願したら、あとは待つだけ」——これまでの特許審査の常識が変わりつつある。特許庁が2026年7月1日から試行を始めた「標準戦略対応審査」は、審査請求から最大24か月後まで、出願人が自ら審査着手時期を選べる仕組みだ。標準化活動(国際規格の制定・普及)を行っている企業が対象だが、この制度が切り開く「審査タイミングの戦略的設計」という発想は、特許を事業に結びつけたいすべての企業にとって示唆に富む。
「特許を取ったら使えない」——従来制度の構造的な矛盾
国際規格(ISO・IECなど)の策定プロセスは、一般に合意形成だけで5〜6年を要する長丁場だ。一方、日本の特許審査は審査請求から平均10か月ほどで一次審査(ファーストアクション)が行われる。この「速さの差」が、技術力のある企業に深刻なジレンマを生んでいた。
具体的に何が起きるか。標準化の議論と並行して特許出願・取得を進めると、国際規格の審議結果に合わせて特許請求の範囲を修正したくなる場面が必ず生じる。しかし特許権は登録後、原則として内容を変更できない。「SEP(標準必須特許)にするつもりで出願したのに、規格が固まった時点で自社の特許がずれていた」——こうした取り返しのつかない失敗が、大企業の知財部でさえ起きていた。
この問題を解決するために特許庁が設けたのが「標準戦略対応審査」である。特許庁は、標準化と知的財産の一体的な活用を促進するため、標準化活動を行っている技術に関する特許出願の審査を、標準開発の進捗に合わせてユーザーの希望するタイミング(審査請求から最大24か月後)で行うことを可能にした。
制度の仕組み——「いつ審査してほしいか」を出願人が指定できる
標準戦略対応審査の対象は、「出願人自身または発明者の属する企業等が標準化活動を行っている技術に関する特許出願」だ。対象の広さにまず注目したい。自社が標準化委員会に参加していれば、大企業でなくても要件を満たしうる。
制度の核心は「審査着手時期の選択」にある。通常の審査では審査請求順に処理されるが、本制度では審査請求から12か月以上24か月以内の範囲で、任意の年月を指定して審査着手を依頼できる。これにより、規格審議の山場に合わせて審査を受けるといったタイミング設計が初めて可能になった。
また、申請時には審査官に対して「標準戦略における標準対象技術の位置づけ」「標準と出願の関係」「各出願の技術説明」を行う。これはただの手続きではなく、審査官が標準の内容と特許出願の関係を把握した上で審査を行うための情報提供だ。標準との整合性を丁寧に説明することで、審査の精度も上がりやすくなる。
申請方法は年1回の応募制となっており、毎年7月に翌年9月末までの1年間を対象とした応募が受け付けられる。初回の申請対象期間は2026年10月1日から2027年9月30日であり、実際の審査着手は2027年10月以降に始まる予定だ。応募は毎年6〜7月に締め切られるため、特許庁のホームページを6月中旬に確認することを社内スケジュールに組み込んでおきたい。
- 対象:標準化活動(規格制定・普及活動)を行っている技術に関する特許出願
- 審査着手時期:審査請求から12か月以上24か月以内の範囲で出願人が指定
- 申請:毎年7月に応募受付(6月中旬頃に詳細を特許庁HPで公表)
- 初回審査着手:2027年10月以降を予定
- 申請時の要件:標準との関係を説明する上申書の提出が必要
中小メーカー・知財担当者への実務インパクト
「うちは大企業ではないし、ISO委員会には参加していない」と即座に諦める前に、一歩立ち止まって考えてほしい。この制度が生み出したのは単なる「遅延審査」の仕組みではなく、「特許と事業タイミングを連動させる」という設計思想だ。この考え方自体は、標準化の文脈を超えて中小企業の知財戦略に応用できる。
たとえば、業界団体のJIS制定プロセスに参加している中小メーカーや、特定業界の業界規格づくりに関与している企業は、本制度の要件を満たしうる立場にある。従来、「とりあえず早く特許を取る」という方針を採っていた企業も、規格との整合性を意識した出願戦略を再考する機会になる。
また、中国・韓国・台湾では以前から、出願人の希望により審査着手を遅らせることができる制度が存在している。中国では審査請求と同時に申請すれば最大3年、韓国では出願日から最大5年の猶予が認められている。日本はこれまでそうした柔軟性を欠いており、今回の制度はその空白を部分的に埋めるものでもある。グローバルに特許ポートフォリオを組む企業にとっては、各国制度の違いを踏まえた出願戦略の見直しにつながるだろう。
知財担当者として今すぐ取れるアクションは明確だ。まず自社が関与している標準化活動を棚卸しし、それに関連する出願案件を抽出すること。次に、規格の審議スケジュールと自社の特許審査を照らし合わせて「いつ審査を受けると最も有利か」を検討すること。そして毎年6月に特許庁の公式サイトを確認し、応募期間を見逃さないよう体制を整えることだ。
「審査を遅らせる」は本当に戦略になるか——注意点と活用のポイント
本制度に対して「審査を遅らせると競合に先を越されるリスクがあるのでは」という懸念は自然だ。しかし見落としがちな点として、出願公開(出願から18か月後)のタイミングは変わらない。公開されれば技術内容は世に出るため、競合の類似出願を牽制する効果は維持されつつ、権利化のタイミングだけを調整できる、というのがこの制度の真の価値だ。
一方で注意も必要だ。標準化戦略対応審査はあくまで「審査着手時期の調整」であり、権利の取得を保証するものではない。審査請求期限(出願から3年以内)は従来通り守る必要があり、審査着手後の手続きも通常と同様に進む。申請書の上申書に不備があると対象外となる恐れもあるため、弁理士との連携のもとで書類を整えることが重要だ。
また、本制度はあくまで試行段階である。特許庁は利用状況を見極めながらユーザーの意見も踏まえて柔軟に見直しを行う方針を示している。最初の正式な審査着手が2027年10月以降となるため、制度の実態が明らかになるのはそれ以降だ。今のうちに制度を理解し、社内の知財担当者や弁理士と「活用できる案件があるか」を議論しておくことが、先手を打つことになる。
特許は「取ること」が目的ではなく、「事業に活かすこと」が本来の目的だ。審査タイミングを事業戦略と連動させるという発想は、中小企業の知財活動をより能動的なものに変える可能性を秘めている。「出願したら待つだけ」から「出願後も戦略を持つ」へ——標準戦略対応審査はその第一歩として注目に値する。
よくある質問
Q. 標準化活動とは具体的にどの範囲を指しますか?
A. ISO・IEC・ITUなどの国際標準機関の委員会参加はもちろん、JIS(日本産業規格)の制定・改訂作業や業界団体が主導する業界規格の策定活動も含まれます。自社が委員会に参加していれば中小企業でも対象となりえますが、具体的な適否は弁理士や特許庁の窓口に相談することをお勧めします。
Q. 審査を遅らせると、競合他社に先に特許を取られるリスクはありませんか?
A. 出願から18か月後の公開時期は変わりません。出願日(優先日)は変わらず、公開で技術内容が公示されるため、同一発明について後から競合が特許を取得することは困難です。ただし審査結果の予測性については個別の事情によるため、弁理士と相談しながら判断してください。
Q. 審査請求の期限(3年)はどうなりますか?
A. 審査請求の3年期限はこれまでと変わりません。標準戦略対応審査は「審査着手のタイミングを調整する」制度であり、審査請求の手続き自体は期限内に行う必要があります。審査請求と応募の両方を期限内に行う必要があるため、スケジュール管理を徹底してください。
Q. 申請はいつでもできますか?
A. 毎年7月の応募期間のみ申請を受け付けます(詳細は毎年6月中旬頃に特許庁HPで公表)。年1回しかチャンスがないため、6月中旬をカレンダーに入れておくことを強くお勧めします。
Q. 制度は現在も試行段階ですか?
A. はい、2026年7月1日から試行が始まっており、利用状況を見極めながら見直しが行われる予定です。実際の審査着手は2027年10月以降となるため、運用の実態が明らかになるのはそれ以降です。今後の制度変更にも注意が必要です。
出典:特許審査において「標準戦略対応審査」の試行を開始します(経済産業省・特許庁、2026年6月18日発表/7月1日試行開始、初回申請受付:2026年10月1日〜)
