2026年1月1日、PCT(特許協力条約)の規則が改正され、「先行技術」の定義が従来の書面・文献だけでなく、口頭発表・展示会・製品デモ・サービス公開などにまで拡大されました。これにより、自社社員が学会で行ったプレゼンや展示会のデモが、自社の国際特許出願を無効にするリスクが現実のものとなっています。特許出願前に「世に出す」行為を管理する社内ルールの整備が急務です。
何が変わったのか——PCT規則改正の核心
特許庁は、2026年(令和8年)1月1日に発効したPCT規則(特許協力条約に基づく規則)の改正内容を公式ページで案内しています。改正の最大のポイントは、PCT規則第33条・第64条における「先行技術(Prior Art)」の定義の拡大です。
改正前のPCT制度では、国際調査において引例として扱われる先行技術は、原則として「書面による開示」——つまり論文・特許文献・技術報告書といった文書に限られていました。ところが今回の改正により、「書面による開示以外の開示」も先行技術の定義に含まれることが明確化されました(特許庁公式サイト、PCT規則第33・64規則の改正の概要より)。
具体的に先行技術として認定され得る「書面以外の開示」としては、学会・研究発表会での口頭発表、ピッチイベントでの技術説明、展示会・見本市でのデモ、β版・試作品のサービス公開、製品の実運用などが挙げられます。これらは従来の国際調査では原則として引例にならなかったものです。
また、同じ改正でPCT規則第34・36・63条も見直され、国際調査機関(ISA)および国際予備審査機関(IPEA)が国際調査中に参照すべき「最小限資料」の定義が拡張されました。中国・韓国などの実用新案文献が新たに調査対象資料に追加されており、これも国内中小企業の出願戦略に影響します。
なお、この改正が適用されるタイミングについて注意が必要です。適用基準となるのは出願日ではなく、「国際調査報告またはPCT第17条(2)(a)の宣言が作成される段階」です。2026年1月1日以降に国際調査報告が作成される国際出願が対象となるため、改正前に出願した案件でも、今まさに審査が進んでいる出願には本改正が適用されている可能性があります。
中小メーカーはなぜ「無防備」なのか
大企業であれば、知財部門と開発部門・営業部門が連携し、「外部発表前に出願を完了させる」というルールが比較的徹底されています。しかし中小メーカーでは、開発担当者が知財の知識を持たないまま、展示会への出展申し込みや業界団体での技術発表を先行させてしまうケースが後を絶ちません。
従来のPCT制度下では、仮に自社社員が展示会でデモを行っていても、書面で公開されていない限りは国際調査上の先行技術とはならない、という「グレーな安全地帯」が存在していました。しかし今回の改正でそのグレーゾーンは消滅しました。口頭での技術説明や実物展示が先行技術として引用され、「新規性なし」または「進歩性なし」の判断につながるリスクが現実化しています。
例えばこのようなシナリオが起こりえます——ある部品メーカーが秋の技術展示会で新製品のコア技術をデモ展示し、その後に国際特許出願を行った場合、展示会当日の様子(出展者自身によるSNS投稿・バイヤーとのやり取りの記録・主催者の公式レポートなど)が国際調査機関に把握された場合、当該デモが先行技術として認定される可能性があります。
さらに見落とせないのが、自社による発表だけでなく、業界団体・共同研究先・取引先による技術の「口外」も先行技術の起点になりうるという点です。秘密保持契約(NDA)を結んでいない相手方との情報共有、あるいは公開シンポジウムでの共同発表などは、特に注意が必要です。
実務で取れる3つの対策
以下に、中小メーカーの経営者・知財担当者が今すぐ社内で実装できる対策を整理します。なお、個別の出願可否の判断は弁理士・弁護士に相談することを強く推奨します。
- 【対策①】「外部発表前出願」ルールを社内規程に明文化する
開発部門・営業部門・経営企画が展示会出展・学会発表・プレス発表を計画する際に、必ず知財担当者への事前相談を義務づける社内ルールを設けましょう。「出願完了前は外部に公開しない」という原則を、口頭での社内周知ではなく、就業規則・社内規程・稟議フォームに落とし込むことが重要です。 - 【対策②】グレースピリオド(新規性喪失の例外)の要件を再確認する
日本の特許法第30条は、発明者・出願人自身が発表した場合に限り、発表日から1年以内の出願であれば新規性喪失の例外(グレースピリオド)を認めています。ただし、この適用は国内出願については有効ですが、国際出願(PCT)では指定国ごとにグレースピリオドの有無・期間が異なります。今回のPCT規則改正により先行技術の認定範囲が広がった以上、グレースピリオドに頼る戦略はリスクが高まっています。可能な限り発表前の出願を原則とし、グレースピリオドは「最後の保険」と位置づけてください。 - 【対策③】過去の外部発表を棚卸しし、未出願技術を洗い出す
今すぐ実施できる「知財ドック」として、過去2〜3年間の展示会出展歴・学会発表歴・プレス発表歴を一覧化し、出願していない技術的アイデアが残っていないかを確認しましょう。特許出願の期限は一般的に「公開から1年以内」(グレースピリオド活用の場合)ですが、PCT改正を踏まえると早急な手当てが求められます。INPITの知財総合支援窓口(無料)を活用すれば、弁理士への相談費用をかけずに初期相談が可能です。
「最小限資料」拡張で引例が増える——調査戦略も見直しを
PCT規則第34・36・63条の改正により、国際調査機関が参照する「最小限資料」のリストに新たに19の国内特許コレクションが追加されました(WIPO PCTニュースレター2026年版より)。特に中国・韓国等の実用新案文献が調査対象資料に加わったことは、製造業の中小企業にとって見逃せない変化です。
これまで日本企業が「特許文献としてはあまり気にしていなかった」中国・韓国の実用新案が、PCT国際調査の引例として挙げられる可能性が高まります。国内出願だけを念頭に先行技術調査をしていた企業は、調査対象を実用新案文献にまで広げることを検討する必要があります。J-PlatPatや各国特許データベースを活用したより広範な先行技術調査が、出願前の標準作業として求められるようになっています。
一方で、自社がすでに中国・韓国で取得している実用新案がある場合、それらが競合他社の特許出願に対する引例として機能するという側面もあります。攻守両面から自社の知財ポートフォリオを見直すきっかけとして、今回の改正を捉え直すことができます。
まとめ——「出願は最後」という発想を今すぐ逆転させる
日本の中小メーカーの現場では、「まず製品を完成させて、売れそうなら特許を取る」という順番で動くケースが今も多く見られます。しかし今回のPCT規則改正は、その発想の「コスト」を大幅に引き上げました。展示会でのデモ、業界紙への掲載、SNSへの新製品投稿——これらすべてが、国際市場での特許権を失うトリガーになりうる時代が到来しています。
特許は「アイデアを世に出す前に守る」ための制度です。「出願は最後」ではなく「出願してから世に出す」という順番への転換は、一度社内ルールとして定着させてしまえば、それほど難しいものではありません。まずはINPITの知財総合支援窓口に相談し、自社の「公開前出願チェックフロー」の整備から始めることを強くお勧めします。
よくある質問
Q. 学会発表の後でも国内出願はできますか?
A. 日本の特許法第30条(新規性喪失の例外)により、発明者・出願人自身による公開から1年以内であれば、所定の手続きを行った上で国内出願が可能です。ただし、PCT(国際出願)ではこの例外が指定国によって異なるため、国際出願を視野に入れている場合は公開前の出願を強くお勧めします。詳細は弁理士にご相談ください。
Q. 展示会への出展を「秘密保持契約(NDA)あり」で行えば問題ないですか?
A. NDAを結んでいる相手方との限定的な開示は先行技術にならない場合がありますが、一般来場者が多い展示会はそもそも「公開」とみなされるリスクがあります。NDAの有無にかかわらず、公開の可能性があるイベントへの出展前には出願を済ませるのが安全策です。
Q. 中国・韓国の実用新案が引例になるようになったと聞きましたが、対策は?
A. 今回のPCT規則改正(第34・36・63条)により、中国・韓国等の実用新案文献が国際調査の参照資料に追加されました。出願前の先行技術調査では、日本・米国の特許文献だけでなく、中国・韓国の実用新案も含めてJ-PlatPatや各国データベースで確認することをお勧めします。
Q. INPIT(インピット)の知財総合支援窓口とはどこに相談すればいいですか?
A. INPITは全国47都道府県に知財総合支援窓口を設置しており、中小企業・個人事業主であれば無料で弁理士・弁護士・知財専門家に相談できます。特許出願の要否判断や出願前チェックフローの整備についても相談可能です。INPITの公式サイト(https://chizai-portal.inpit.go.jp/)から最寄りの窓口を検索できます。
